誰も、ずっと続けていること、普段やっていること、がんばって取り組んでいくことのなかで、あとで思うと「あのとき、つきぬけたな~」ということがあるはず。つまり、自分のなかでのブレイク・スルーというやつです。その瞬間は、決してこちらから仕掛けたものばかりではなく、急にあちらから訪れることも多い。その時、自分の地のままで必死にとりくんで、実力でこなしたこと、それがあとでどんな意味をもつのでしょうか?
今回は、英語を学ぼうとしている方、英語学習に悩んでいる方、英語を学んで何になるのと思う方のために、「英語を使って、突き抜けたと思える瞬間とは何か?」について経験に基づいて考えてみたいのです。
英語はしょせんツールにすぎません。
私は海外での留学・長期滞在の経験があるにせよ、いまの国際通信社にはいって、ほぼすべてのメールが英語、上司は外国在住の外人、社内情報はすべて英語、グローバル・電話会議はもち英語、日本支社内には20カ国国籍の人が同僚、というビジネス英語づけの日々をあたりまえにこなすまでにはやはり数年かかりました。そして、大切なのはあまりきばらないこと、恐れを早く手放すこと。
・そして、なにより、まずやってみる。
・なにより、慣れてみる。
・なにより、楽しんでみる。
帰国子女ではない日本人が、英語習得までの長いみちのりは、だれもが辛い経験があるはず。その目的が大学入試、旅行や留学、就職や転職、恋愛や結婚など、いろいろあるにせよ、ひとつひとつ単語や文法を覚えるところから、意図の伝えられる文章を書き、英語新聞や書籍を読み、相手に意思を伝えられるように話せるまでどれほどの試行錯誤が必要でしょうか。
ふうっ~。この労力を、他の技術や知識習得に使えばいいかも?と考える方もいるでしょう。それも正しい。
それでも、いやがおうにも英語漬けのグローバルなビジネス環境に働いてみて、「突き抜けたと思える瞬間」から、何を感じたのか?
外国支社からのプレッシャーをはねのけたとき -Openness
私の日本チームの仕事内容は、弊社のデータセンターのひとつであるマニラオフィスの同僚がクオリティ・チェックしています。そのチェックによるエラー指摘が、グローバル・ガイドラインを超えて、毎週発展的な解釈を加え、これでもか、これでもかとエスカレートし、とてもストレスフルな時期がありました。こんなやりかたをされて評価を下げられたらたまらないと、冷ややかで醜くいメール応戦を何度かくりかえしました。
あるとき、みかねたマニラのマネジャーが、「一度、ちょっとみんなで電話で話さない?」ともちかけてきました。それで、日本から3人、マニラから2人で電話会議しました。
まず、エラーを指摘するのが仕事であるQC担当者の彼女なりの主張を静かに聞きました。そして、私から、QCは金融情報プロダクツのクオリティを上げるためなのだから、担当者の指摘にケチをつけたり、否定するつもりはないと、まず相手のメンツをたてました。その上、ガイドライン表記以上の拡大解釈は明文化されていないことも多いので、当チームも予測がつきかねる場合がある。なぜ、いままで該当すべき業務が指摘されないまま見過ごされ、急に指摘されたのか、こちら側もとまどう。なので、今後は、新解釈の1回目はエラーをとらないでほしいと提案しました。そのかわり、同じようなミスを繰り返さないようにするため、こちらも具体的な改善努力をこのようにすると伝えました。
その後、ミス指摘のエスカレートはおさまり、みんなで協力してよりよい仕事をしていこうという意識がうまれました。
相手を否定することからはじめない。冷静な現状分析結果と建設的な打開策をオープンに話し合うことで、プレッシャーを打開することができたのです。
NYから、金融情報プロダクツの精度と更新頻度を向上させたいという指示が日本チームにきました。しかしながら、そのための業務量を試算してみると、なんとこれまでの1.5倍。そんな業務をいままでの時間内で、おなじ手間、同じチーム人数でこなせるわけがありません。みんなパンクします。体壊します。
そこで、日本チームがその業務遂行のプライオリティを一番と考えるなら、それ以外のいくつかの業務を海外支店などに移管できないかと提案してみました。そんなことができるのかと、はじめはチーム・メンバーたちも尻込みして弱気になり、おとなしく指示を受け入れればいいのではという人もいました。
みんなを説得するには、具体的な各業務あたりの処理時間を、過去3カ月の記録から計測し、いかに無理な要求であることを数値で示す必要がありました。さらに、あらたな体制での試算を出し、十分にリーズナブルな業務範囲であることも示しました。そして、ある業務は、マニラ担当者に、ある業務は、北京担当者に移管するような人事配分をNYに許可してもらえるように依頼しました。後に、それぞれの担当者には、ウェブ&テレコンでのトレーニングを施して、業務進行手順を説明しました。
世界は自分が変えられる。個人の小さな「勇気」と「熱意」から、世の中を変えていきましょう。
弁護士出身の彼は、ハート温まる真摯でかつ説得力あるスピーチが上手で、カリスマ性のあるとても魅力的な方で、社内外から評判の高い本社社長です。そんな彼に、紹介され、微笑みあい、握手し、雑談する機会がありました。震災後に、日本支社を訪れたときです。
まじ、雲の上の人です。はい。
私からは遠隔業務をした状況や地方にも一部の物資不足があったことをお話しました。彼は、日本はいろいろ魅力的な訪問すべき場所があって、僕の家族も同行したがっていたが、今回はそれがかなわず残念だったとポジティブに語りました。その会話のときをふりかえると、私は頭で翻訳するような日本語脳は使っていなかったように思います。別に気負いもなく、ためらいもなく、自然な人間と人間の会話でした。
そうです、文字通り、世界の誰にでもアクセス可能なんです。自分と世界のひとり、ひとりがつながっているのですから。
大震災をへて、これまであまり寄付やボランティアにかかわってこなかった日本人たちも、はじめて動きはじめました。
約6000人が参加する、金融業界最大のチャリティ・イベントがあります。シティ、UBSやなど主だった外資系金融業界の人々が中心となる、FIT(Financial Industry in Tokyo)for Charity Runというイベントに、会社の代表の一人としてコミッティ活動に参加しました。チェアマンが外人だったりして、コミッティ活動は基本、バイリンガル。みんな、仕事も多忙なのに、その合間にボランティアとしての仕事もかなり真剣にこなしていきます。持ち場、持ち場で最高のパフォーマンスを発揮しているのが、手に取るようにわかりました。
毎月のコミッティ会議には、外資系企業のボードルームなどに数十人のメンバーが集まり、運営の進行状況を報告しあい、問題点を話し合います。それはそれは白熱したものです。ひとりひとりに、成功させようという強い意志があります。
行動力は行動力を増殖させる。自分が率先して動き、力を合わせ、大きな善意をかなえていこう。
そのうち、気心がわかってきて、たまには、メッセンジャーで家族の話、趣味や映画の話、将来の夢の話などをすることもあります。そんなふうに仲良くしていた同僚たちが、離職し、数か月、半年たってから近況を知らせるメールをくれたりすることがあります。フェイスブックにフレンド申請してくることもあります。グーグルのメッセンジャーを使ってくるひともいます。
「Katsue、ロンドンはとっても面白いよ。ぜひ遊びにおいで。」
「NYから、西海岸のIT企業を視察したんだけど、行程記録ビデオつくったからみてよ」
うれしいのは相手の心の片隅にいまもなお、「私というスペースがあること」。純粋な思いやりや親愛は、国境や人種、性別を超えられるのです。
多国籍の同僚たちとの歓談は、このような国際通信社で働く楽しみのひとつです。
ひとつのトピックスに、それぞれの価値観や感性から発する言葉のおもしろさといったら。ちょっと、文字にはできないほどです。それはそれぞれの生命の輝き、そのものなんです。(コーエン兄弟のオー・ブラザーを思い出す)
・ うぁ~、そんなふうに考えるんだ。
・ 切り口がおかしすぎ。
・ 皮肉っぽいけど、深く納得。
・ オタクすぎて、意味不明。
・ 美意識高すぎて、うっとり。
多様性が生むハーモニーの美しさは、たとえば虹の美しさ。お互いの違いを受け入れる、楽しむことからはじめましょう。
これらのように、「突き抜けたと思える瞬間」から、体験に体験を重ねることでしか得られない実感や確信をえるひとときは、自分の心X体X魂が同化して、今ここにいる瞬間。 それは、生きる醍醐味のひとつではないでしょうか。
そして、あなたも。
いつでも世界は、両手を広げて、あなたを待っています。
英語ツールを活用して、あなたは、あなたのままで、あなたらしく世界をもっと幸せな場にしてください。
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