Apr 18, 2010

リバーは家族の輪そのものだった


人はときどき、時の流れを生きていることを忘れてしまう。


そのうちやればいい、とすべきことを先延ばししたり。
そのうちよくなるさ、と問題を放置したり。
そのうちいえばいい、と感謝の気持ちを伝えなかったり。


でも、知り合いや親族の突然の死に対面して、はじめてすべてに終わりがある、それは今日かもしれないことに気づく。昨日は、同僚のひとりが取材先の外国で狙撃を受け、尊い命を失った。それはニュースとなり全世界をかけめぐった。会社に忠誠をつくし働き盛りの出張時のできごとだった。

それぞれの人には、それぞれの旬の時代がある、とも思う。


それは富や成功をかなえているという意味だけではなく、そのひとらしく生きていて輝いているひと時、のことだ。それは幼くても、若くても、熟年でも、老年でも。


同じように、家族にも旬の時代があるように思う。


ある家族が一緒にすごし、笑いあい、食事をしたり、あるいは喧嘩をしたり。ともに日々をすごすことがあたりまえで、ともにその時代を共有する時間だ。けれど、いつかそれはかなわなくなっていく。子供たちは独立したり、親は高齢になり活動的でなくなったりしていく。


そういう意味では、愛犬リバーはわが家族の旬の時代に、立派な家族の一員だった。いや、リバーがいたから、いっそう我が家には家族らしい楽しみや喜びがもたらされていたのかもしれない。いたずら好き、こわがり、甘えん坊のリバーのおかげで、家族の連帯感はほんとうに高まったといえる。


いま、リバーを失ってみてはじめて自分たちも、ひとつの時代、家族の旬の時代が終わりつつあることに気がついた。


ありがとう、リバー。あなたは家族の輪そのものでした。

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