ある本のなかの、ワンフレーズだけ頭にこびりついて長年離れないことがあります。フランスの故エドモン・ロスチャイルド男爵の言葉、「明日という日はけっして昨日のつづきではない」 は、私にとっては不思議とときおり頭によみがえる言葉でした。
それは、彼の妻のナディーヌ・ロスチャイルドの執筆した本のなかに、当時ショーダンサーだった独身の彼女に語った会話のなかにありました。「人類の98%はかろうじて生き延びているだけだ。残りの2%だけが本当に生きている。ぼくはその2%の人たちが好きなんだ。その人たちにとっては、明日という日は決して昨日の続きではないからだよ」
この意味を当時は、わかったような、わからなかったような気がしますし、いまでもほんとうはよくわかりません。それでも月日を重ねるなかで、ときおり思い返したりしてきました。そんなずーーっと考えてきた言葉を、自分なりにまとめてみたいと思いました。
1. 日々、新たな選択をおそれない
昨日までの自分とちがう、明日の自分を考えるのは不安が伴います。それでも新たな考え方、場所、物事、人間関係などに自分を投入するという決断、選択が必要なときもあります。あるいは、できるだけ過去の自分を変えないという選択もあるでしょう。人生は選択の積み重ねなのですから。
2. 今日のことを、明日に先送りしない
今日できるはずのことを、明日もあるからという理由でやらないで済ませることはありませんか。もし、先送りをしなかったら、明日は明日で別の新たなことにとりかかれるでしょう。24時間はだれも人間平等に与えられていますが、充実度は各自に託されています。
3. 今日の1日を精いっぱい楽しむ
こんなはずじゃない日もあります。みじめな日もあり、くじけてしまいそうな日もあります。それでも、やはり自分にとっては愛すべき人生の1日なんですね。過去の人生は、のちの解釈で幸福にも不運にも解釈できるもの。今の幸せのために、あのときの辛さは必要だったんだとか。だったら、その日の自分を楽しむという心の余裕があってもよいのではないでしょうか。
4. 昨日までの自分を捨てられる勇気をもつ
何年もかけて築いてきた大切な今日の自分。それでももし明日からの未来にそぐわない自分だったら、変えていかざるをえません。時代は変わります、価値観もかわります。昨日までの価値観で存在する自分がなんだかみすぼらしく、頼りなく、愛が足りないと感じてしまう日もあります。そんなとき自分自身を展開していけるでしょうか。こうありたい自分、もっと幸せな自分、もっと豊かな自分、もっと尊敬すべき自分。そのためには過去の生活、習慣、環境から離れることはできるのだろうか。そんな勇気をもてるのでしょうか。
5. まだ未知の未来を受け入れる心構えをもつ
自分が希望する未来&幸福でありながら、いまひとつ遠慮している、おじけづいてる自分がいる。そんなことがありませんか。そんなとき、望むことが現実化するのは、自分にとってふさわしいことなんだという自信の支えが必要です。それが今とはかけ離れている現実であっても。この人生では無理かもしれないと考えたことがあったとしても。心のキャパシティは無限大にしておきたいものです。
これらのことは、人生のリスクを伴うことです。決して幸せや成功の保証がない選択であり、昨日までの安寧や信頼を失うかもしれないチャレンジです。言うは易し行うは難し、そんなことに挑んだ結果、手痛い失敗、辛い別れ、とりかえしのつかない損失を被ることもありえます。チャレンジという夢あふれる言葉のイメージを嫌いになるかもしれません。現実は現実でしかない日々なのですから。
こうしたとき、フランス系ロスチャイルド家の一時代を切り開いたエドモン男爵の言葉は、私にとって一筋の光であり、励ましとなってくれました。私が本当に生きている2%かどうかはわかりません。他の方でそういう方は本当に敬愛しています。彼の言葉が教えてくれたのは、時代の流れ、社会の変化のなかで主体的に生きていこうとするエネルギーこそ尊いものなのだと。
Jan 7, 2011
ロスチャイルド男爵の「明日という日はけっして昨日の続きではない」
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